『幸せは自分次第』にたどり着くまで Vol.2 – 彼のお父さんが倒れた 

皆さんこんにちは〜♪
大阪のG20サミット、いよいよ始まりましたね。
昨日の段階で旦那氏から「すごいわ。交差点ごとに警察官おる」とLINEが来て、三田でのんびり自宅にいながらもその空気を少し(ほんの少しだろうけど)実感しています。

本日より、当店から発送する商品の到着がいつもよりも少しお時間がかかる場合がありますが、あらかじめご了承頂けましたら幸いです。

今年もアジサイの季節になりました♪
入居して7年、本当にあっという間。

さて、先日のこちらの記事「『幸せは自分次第』にたどり着くまで Vol.1」について、FBのコメントやメールで嬉しいコメントをいくつか頂きました。

「意外な過去」と思われた方も少なくなかったようで、やっぱり書くって決めてよかったな・・・と感じました。

というのも、三田に引っ越してから、インスタグラムを通じてSONRISAや私を知ってくださった方の中には、ある意味私はそれなりに「キラキラした人カテゴリー」に最初から居たように見えているのかな・・と感じた事が何度かあったから。

先月?篠山のお蕎麦屋さんにて。
ほぼ息子化する娘達と旦那氏。

我が家は旦那がとても理解があるので、(心理学等を学んで実践してきた上での)夫婦の事を話したとしても「そりゃすみちゃんとこの旦那さんならそうやわー」「澄子さんところは旦那さんが神だから」で終わってしまって、「最初から恵まれていた人が言う綺麗事・理想論」的に伝わってしまうのかな・・と思う事もけっこうあります。

今まで書いた事なんてないけど、
お金の話はビジネスの上でも人生の上でも
とても重要で、避けて通れないもの。
なんとなく苦手、避けたいなら、
その根底にある気持ちを見た方がいい。

そしてお金に関する事も同じく、一時期は本当に馬鹿のように身の丈を超えてブランド物や服を買いまくっていた時期があるので(この経験からも大きな学びと反省が沢山あるので、記事にして行きますね)、「好きな事を仕事にして上手くいって、自由に使えるお金と時間があるキラキラした人カテゴリー」に最初からいた人のように見えるのかもしれない。

実際は最初の頃の状況はそんなキラキラからは程遠くて、むしろかなり不自由な状況からのスタートだったのですが、人間面白いもので、そういう「もがいていた時期のこと」って忘れて行くんです。

泳げる人が、泳げなかった頃の水に潜った時の怖さを忘れるように。
コマなし自転車に乗れなかった時の、フラフラしながら恐怖感と戦いながら練習した頃を普段思い出すことがないように。

コマなし自転車になんの意識もなく乗れるようになる一番最初の一歩は、「コマを外して練習しよう」「コマなし乗れるようになりたい!」と「決める」事

目指す場所を決めたら、 
− いつ練習する?
− どうやって練習する?
− 誰に見てもらう?
それらの具体的な「次の一手」が全部決まる

決まったら、後はそれを淡々とやる。

最初一瞬、「やっぱり私には無理かも」と思う。
ふらついて転ぶ。

でも、転んでももう一度やる。
後はひたすら、それの繰り返し

するとある瞬間、「!!!!」と、感覚がつかめる瞬間がくる。
そうしたら、なぜかいきなり、すーっと走れるようになる。

でも普通に乗れるようになって、慣れてしまうと、コマ付き自転車に乗ってコマなしに憧れていた時の事も、転びながら練習していた時の過程も、すっかり完全に忘れる。

それと全く、同じ事。

だから、その最初の、コマなしに乗れなかった頃の私のこと、書きますね。

先日のむーちゃんのお散歩にて。
空がもう夏だった〜。

我が家のスタートがどんな状態だったのかを、最初に簡潔にまとめると。
自分たちの家賃の2倍の仕送りをする暮らし」からのスタートでした。

簡単にまとめると、旦那との結婚を意識し始めた31歳当時、彼は東京でIT関係の技術職として働いていて、私は京都で社会人入学した大学院の修論提出前で、600万弱あった貯金を大学院の学費と2年間の生活費に費やしていて、さらに2年間で奨学金を200万ほど借りている状態でした。

卒業後は東京で就職して、旦那(当時は彼)と暮らすんだと漠然と思っていた12月、彼のお父さんが脳梗塞で倒れました。
一命はとりとめたものの、左半身麻痺が残り、自営業だった彼の実家の経済は一気に立ちいかなくなりました。

雪は降っていなかったけど、こんな寒い冬の日。
バイト先の大阪から京都に帰る電車で、
旦那の緊迫した、だけど落ち着いた声の
電話を聞いたのを覚えています。

その当時、事の大きさをまだ実感していなかった私は、とりあえず彼が大阪に帰ってくる事、転職活動しないといけない事、これから彼は実家を支えて行く事を聞いて、ふんふん、じゃあ私も一緒に支えるねーぐらいに思っていました。

私は小学生の頃から主婦願望が全くなくて、一生ずっと自分で仕事を持っていたいタイプだったので、私みたいなタイプでちょうどよかったな、ぐらいに思っていました。

が。

事が具体的になって、彼が話しづらそうに自分の実家のことを話してくれた時、ちょっとした(いや、かなりの?)衝撃を受ける内容も、多々含まれていました。

うちの実家は、両親もゼロからスタートだったので(親から受け継いだものや支援してもらったものがないゼロからスタートという意味で)特に豊かではなかったかもしれないけれど、ごく普通に安定して暮らしていて、家族関係もこれといった大きな悩みや喧嘩のない、超平凡にのほほんとした家庭。

サザエさんやちびまるこちゃん的な、ごくごく普通に、平和にのんびりすくすくと、30年生きて来ました

大したトラブルも何もない家庭で
のほほーんと平和に育って来ました。
こんな感じで。
お〜い、散らかしすぎや!

彼から聞く実家の今までのトラブルや悩みは、そんな私からすると「テレビで見たことある・・・」で、どこか自分の人生には関係がないと思っていたものばかりでした。

何より驚いたのは、彼本人からはそういった苦労や家庭環境を感じた事がそれまで一切なかった事。
なので同じように平和に育った人かと思っていたし、多少の家族のいざこざがあったとしてもそこまでとは・・・な事も沢山含んでいて、経済的な背景(なぜこうなっているか、これまでご両親の支援をどれだけしてきたか)にもしばし絶句する感じでした。

そんな感じだったので、大黒柱だったお義父さんが倒れ、早々に経済的に立ち行かなくなる状況になったその月から、何の躊躇もなく彼から実家への仕送りが始まりました。

その金額が、後に私たちが一緒に暮らし始めた2DKのマンションの家賃のちょうど2倍というよく考えるとまぁまぁ大きな金額だったのですが、ご両親だし、彼は払える範囲だったし、他に選択肢はないわけなので、その時は「仕送りできる状態でほんとよかったね!」と思っていました。

そして、私もこの人と結婚するという事はこの全てを一緒に背おうという事だけど、どうせずっと働きたいんだから共働きしていけばどうにかなるでしょと思っていました。

不安に思わなかったのは、まだお互いの「家庭の文化」の違いを知らなかった事もありますが、経済的な問題の原因が彼本人に起因するものじゃなかった事と、ご両親が困った状況になった時に迷いなく助けられる人であるのは好ましい事だと感じたからでした。

とは言え、この状況、客観的に見ると、娘を嫁がせたい状況では、ないかもですね。
というか、親の方がきっと不安ですよね。
彼に問題がなくても、ご家庭が・・・・大丈夫なの?ってね。
話した所で心配をかけるだけで状況が変わるわけでもあるまいし・・・と思って、実は父には何も話しませんでした。
母には一応電話で全て話しましたが、一旦沈黙した後、「・・・あんたは大丈夫なのね?苦労するかもしれないよ?まあ、きっと**さんなら大丈夫なのよね。』とだけ言って、それ以上何も言わなかった。
親になった今、その一言で全て飲み込んで信じてくれた両親には感謝しかありません。

こんな風に、2人で支えていけば何とかなる、というか、何とかするしかない・・と思って進み始め、私は大学院を修了し、当時バイトとして入っていたNPOにそのまま就職する事を決めました。

そうしたら、またまたびっくりな事件が、立て続けに起こりました。
長くなるので次に続きますね。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA