『幸せは自分次第』にたどり着くまで Vol.4 – 次から次へと 

皆さんこんにちは〜♪
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この機会を最大に活かせるように、私も頑張りますね!

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さて、先日から書き始めたこちらのシリーズにちょっと戻ります。

『幸せは自分次第』にたどり着くまで Vol.3 – 入社した会社が倒産危機?! 
『幸せは自分次第』にたどり着くまで Vol.2 – 彼のお父さんが倒れた 
『幸せは自分次第』にたどり着くまで Vol.1 

なんだか濃厚な感じになってまいりましたー。
今思うと、ほんとにこの1年は「次から次へと」いろんな事が起きました。
それまでの人生がすごく平和でのほほんとしたものだったので、翻弄されまくる私。

では早速続きを書いていきますね。


12月に彼のお父さんが倒れ。
4月から私も彼も新しい会社での生活が始まり。
5月に私の会社が倒産の危機に陥る。

普通めったに起こらない事が二つも立て続けに起き、環境もがらりと変わったので、その当時はもう目の前の事に必死で対応していました。

彼も、それまで勤めていた会社ではIT系の知識と技術力で仕事ができていたのが、新しく転職した会社は特殊な分野のソフトを扱うベンチャー企業だったため、その分野の高度な専門情報についていかねばならず、実務レベルの要求が高すぎて最初はかなりしんどそうでした。

実家を支え始めて半年が過ぎ、長期入院していたお父さんも退院時期が見えてきて、在宅介護に向けた自宅のリフォームや準備でまたお金が飛んで行っていた時期とも重なり、彼も相当しんどかったけれど、私も私でそれどころじゃなかったので、お互い弱音を吐くにも吐けず。

そんな中。

当時、彼の実家に暮らしていた彼のお婆さんの様子がおかしくなりました。
心労や環境の変化もきっかけとなったのか、認知症的な症状が出てきてしまったのです

もともとはお婆さんとお父さん、お母さんの3人で暮らしていて、夫婦で自営業を営んでいた中で、立て続けに2人が要介護になってしまった事で、お母さんと旦那の心労と不安と疲労はどんどん積もって行っていました。

幸い、1人で2人の要介護者の面倒を見る事が不可能な状況が状況だけに、行政的な優先度が高く、市役所が迅速に対応してくれた事から、確か6月のうちにお婆さんの介護施設は決まったのですが、「老後の不安」が一気に押し寄せた形の数週間の心労はかなりのものだったと思います。

今思うと、こういう心労と疲労が溜まっている時ほど、
お義母さんにのんびりとした美しいものを見ながら
お茶したりする機会を作ってあげれたら良かった。
写真はes koyamaさんのカフェのお庭です♪

そしてその頃(6月)の私はというと、会社は落ち着かない状態の真っ只中でしたが、すでに契約が完了したマンションに引っ越す事を決め、状況としてはハードだとしても、まだ日々の小さな事を2人で楽しめる程度の心の余裕はあったように思います。

引っ越してみると、私は車の運転ができないために「近くに住んだら何かお手伝いも出来るかもしれないし」と思っていた「お手伝い(送り迎えや買い物の代理、自営業の配達など)」はほぼ役に立てない事もわかって凹みましたが、お母さんはその頃の唯一の明るい話題となる結婚を何より喜んでくれていました。

そしておばあさんの介護施設の入所が終わり、いい施設だったのでちょっとホッと胸をなでおろしたぐらいの頃。
またもう一つ、心配な事が起こりました。

すぐ近所のマンションで家族4人で暮らしていた彼のお姉さんが、自宅の廊下で倒れてしまいました。
幸い、家にいた姪っ子(当時19歳ぐらい?)が気づき病院に運ばれましたが、念のために精密検査をしておきましょうという事になりました。

女性の場合、疲労からくる貧血や回転性めまいなどの症状もあるので、お姉さんも無理のないようにゆっくり休まれないとね・・と思いながら、私達は私達で毎日深夜まで持ち帰った仕事や業務知識の勉強が続くような毎日だったので、「ここで俺が倒れたらほんま終わりやな」という彼の言葉が冗談でなく、絶対に私達は倒れるわけにはいかない・・・と、だんだん気持ちの余裕もなくなっていきました。

一方会社の方はと言うと、とりあえず目の前の課題を黙々と片付け、収益安定に向けて運営している各言語のサイトをDocomoの公式サイトに登録するための手続きを進める事になりました。

(当時のSoftbank、auにはすでに公式登録が完了していましたが、一番審査が厳しく複雑なDocomoはまだでした。そして外国人ユーザーが一番利用していたのがDocomoだったので、かなり大きな機会損失がずっと続いている状態でした)

その申請手続き用のプレゼン資料を鬼のように作りながら、それでも会社はメンバーが本当に素敵な人ばかりだったので、なぜか和やかで笑いも絶えないというありがたい状況でした。

当時の会社には、タガログ語の堪能な日本人スタッフの方と、日本語ペラペラのペルー人の取締役とスペイン語がペラペラの日本人スタッフの方、英語も日本語もペラペラで、なんならスペイン語も話せちゃうブラジル人のスタッフの方がいて、つまり基本的にみんなラテン系。

会社の状況は超深刻だったかもしれないけど、それでもみんな目の前のことに淡々と熱心に取り組む上に、落ち着いていて明るかった♪

本当に本当に、この時のメンバーが最高すぎたんだと思います。
誰1人会社のせいにせず、笑顔のまま仕事していて、前向きなアイデアが出たらすぐに実行に移す。

そしてお客様からかかってくる電話も、フィリピン人もブラジル人も中南米人も、とりあえず明るい♪
タガログ語もポルトガル語もスペイン語も、響きがなんか可愛くて和む。

私は彼の家の状況もあったので時に切羽詰まった顔になっていたかもしれないのですが、周りの人たちの明るさと柔らかさに本当に助けられました。
そうして少しづつ少しづつ、ユーザー数も増えていき、業績も少しづつ改善してきているのを感じられるようになってきました。

そして8月。
私はNPOとしての新規事業の営業だったか打ち合わせだったかで、上司とともに2泊の熊本出張に行くことになりました。
熊本には叔父夫妻が住んでおり、私は叔父の自宅に泊めて頂いて色々とご馳走になったり、阿蘇山に連れて行っていただいたりして束の間のリフレッシュを楽しんでいました。

https://www.ana.co.jp/ja/jp/tastesofjapan/kyushu/0021.html より
お写真お借りしました

そしてちょうど阿蘇山でのんびりしていた時に、彼から電話がかかってきました。

ちょっと疲れているのか、なんか元気ないなーと思ったのですが、明日帰る時間を伝えたら「関空まで迎えに行くわ」と、いつも通りに答えてくれたので、「ありがとー、ゆっくり寝てねー」と電話を切りました。

この時のちょっと元気なかったかな?いう違和感も、阿蘇の大自然に圧倒されてた清々しい気持ちが上回り、それ以上気にしませんでした。

そして次の日。

関空に戻ってきて、到着ロビーに迎えにきてくれていた彼の様子を見た瞬間。

なにかとんでもない事が起きた

と、瞬時に悟りました。

そうなんですー、まさかの、また大きなことが起きました。
12月にお父さんが倒れ、5月に会社が倒産危機に陥り、6月にお婆さんも要介護となり、そこからたった2ヶ月の8月半ば。

普通、こんな事ってある?

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